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コロナウイルスの収束のために今できること2020.03.18 Wednesday
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JUGEMテーマ:幸せなアンチエイジングの習慣
日々、刻刻と変わる世界のコロナウイルスの状況。
今や、世界各国が、国境封鎖や外国人の入国阻止など鎖国状態になっていき、経済の影響も信じられないくらい大きくなっています。
レストランやバーなどの娯楽業の営業禁止、外出禁止、人と会うこと禁止、など現代で考えられない状況になっている世界各国。
経営破綻や倒産という言葉もよく耳にするようになってきました。
そんな世界の大混乱の中、日本はコロナウイルス感染が早くから出ていたものの、諸外国に比べるとまだ感染者数が数字上少なめのような気もします。
そのことについて、連日聞かれるのが、「日本は検査してないじゃん」「数の隠蔽だよね」「オリンピックしたいために本当の数を出さない」など。
それは本当にストレスがたまるもので、「もっと検査してほしい」「WHOでさえ検査に検査だと言ってるのに」「実は日本人ほとんど感染してるんじゃん」などと思ってしまいます。
ですが、同時に、イタリアがなぜ医療崩壊が起きたかについてイタリア医師が「イタリアは検査を一気に拡大してやったために医療崩壊が起きたのです」と言っているのを聞くと、
検査はあまりやらない方がいいのかなと思ってしまいます。
そんな葛藤の思い。
わたしだけでなく多くの日本人が持っているのではないかと思います。
そんな時に、眼にとまった今日の記事。
論座 「福島の経験から見る新型コロナ『議論の二極化』と『報道依存』」 越智小枝 より抜粋
「今は全国が災害現場。今パンデミックという自然災害の真っただ中にあるということをわたしたちはもう少し認識すべき。私たち全員が被災者でありここは被災地。」
つまりメディアなどでも他人事のように感染者を数値で語って海外の諸外国と比べている場合ではない。
災害現場での災害医療と救急医療とは全く違うらしいのです。
その「本質的な違いは、資源の不足。平時の救急外来では、運ばれてきた患者はどんな軽症でも必要な治療が提供される。しかし大規模災害の後に傷病者が急増すれば、限られた資源の中で死者を最小限にとどめるために、病院に運ばれてきた患者を『トリアージ』する必要がある。それは重症患者を優先させ、平時であれば治療を施す患者であっても軽症であれば治療しない、という選択だ。
今、日本という『災害現場』ではCoVID-19という特定の感染症に対して、そのトリアージが行われている。つまり国内でPCR検査が不足しているいるのは陰謀論でもなんでもなく、それが災害というものだからというだけのことだ。有事の不足の中でいかに効率よく資源を回し、今後いかに資源を獲得するか」ということが大切だと。
だれにとっても今わかっている確かなことは、少しでも早くこのコロナウイルスに人類が打ち勝つ必要があるということ。
そして少しでも早く日常を取り戻すために最善を尽くすということ。
今、大多数に検査をしていない日本でも、また検査をしているヨーロッパ各国でも、求められていることは外出の自粛、そして感染予防。
大勢に検査ができない状況だからこそ、自覚のある人もない人も不要な外出の自粛をする、他の人との接触を自粛する。
検査をして陽性が出て黒を突き付けられた人だけでなく、なんとなくだるかったり熱っぽかったり咳が出るという症状の人達は特に自らの判断で自宅待機というのが一番求められていることだと思うのです。
日本は特に、先生の言うことや医者の言うことならば仕方なく聞くけれど、自分の意思や判断で、となるとなかなかできない傾向にあると思います。
この先、世界がどうなるのか、日本はどうなっていくのか、全くわからない状況。
一日ごとに状況が変わる状況。
フランスの大統領が言っていたように、今まさに戦争状態のような世界。
そんな中、まるで他人事のように平和で楽観的に「自粛いつまでもしててもね。。。」などと再開を始める色々な施設や学校や「花見も気をつけながらしましょう」などという日本のニュースをみていて、「大丈夫かな」と思ってしまいます。
もちろん、経済が止まったままでは大変です。
ある程度のバランスをとりながら経済活動を続けていくことが必要だと思います。
ですが、それは自粛ムードをなくすことではないんじゃないかとおもいます。
警戒を緩めることでもない。
経済活動を再開するからこそ、警戒をさらに強める必要があるんじゃないかと思います。
今後、感染者が爆発的に増えたとき、果たして病院の病床数は大丈夫なのか、多くの人が疑問に思っていると思います。
そうなってしまってからでは遅い。
それではイタリアの二の舞。
今できるときに、準備していく必要があると思うのです。
一刻もはやく自治体が具体的な案で体制を整えていってほしい。
イタリアや中国のように日本もなってしまわないことを今は切に願うだけです。
そして、国民ひとりひとりが感染予防のために自分にできることをする。
一日も早い新型コロナウイルスの世界からの収束(終息)を願うばかりです。